S80の統計備忘録

頑張って統計の勉強をしています。

【番外編】社会人大学院の生活記録。

先日、大学院を修了しました。色々と学びがあったので、記録を残しておきたいと思います。

目次です。

目指した動機:辛い時期だった。

一番大きな動機はこれです。その時、仕事がうまくいってなかったのです。前向きな理由もなくはないですけど、向いてない仕事をずっとやっていて、頑張ってるけど成果は出ないという状況が続いていました。

日々の細かい業務は普通にこなせるんですけど、成果だけが出ない状況でした。やり続けていればきっと成功するという希望は皆無でした。会社では毎期の初めにキックオフがあって、そこで優秀者の表彰があるのですが、もちろん表彰されることはありませんでした。私にとってのキックオフとは、自分のダメさを1日かけてしっかり噛み締める日でした。

成果が出ないまま、年齢だけ積み重なってしまう状況をなんとかしないといけないと考えていました。

後は、修士ってかっこいいって思ってました。それに、仕事できないマンだったんですけど、データ分析とか何かを調べることは少しだけ得意で、こっちなら何かできるようになるかも?という期待を少しだけ持っていました。

大学院はどんなところか:インプットの場じゃない。

どんな角度で見るかによって大学院は色んな姿を見せますが、ここでは、大学院はアウトプットの場であることを強調したいと思います。

学校なので、もちろん授業があります。その意味では100%アウトプットとも言えないのですが、基本的には論文の形で成果物を残します。その論文が評価をされ、修了できるかが決まります。なので、大学院はアウトプットの場です。

もう少し具体的に言うと、以下のようなことが(恐らく多くの場合)起こります。

  • 研究テーマは自分で決める。
  • 研究計画は自分で考える。
  • 研究方法は自分で考える。
  • 研究の結果は自分で導き、考察も自分で考える。
  • その過程で、指導教官や同僚(敢えてドライに言えばリソース)の活用方法を自分で決める。

待っていれば誰かが教えてくれることはありませんでした。

なぜこんな話を書くかと言うと、学びたいという「動機」と大学院という「場」にギャップがあるのは、精神的に結構しんどいと思うからです。私の場合は、結果的に研究をとても好きになったので問題ありませんでしたが、周りには「勉強したいけど研究したくない人」もそれなりにいました。そういう人たちはやっぱりどこかしんどそうに見えました。

インプットしたい動機はあって然るべきです。ですが、動機が研究にない場合は、ひょっとすると大学院とは別に良い場があるかもしれません。それでも進学の選択肢を取るなら、研究に対する心構えは必要です。もちろんやったこともないのに100%構えることはできませんから、「ふーん、そんな感じなのね」って知っておくだけで良いと思います。と言うかそれしかできないです。

良かったこと:未熟さを知った。

修士の2年間を通じて分かったのは、研究という領域における自分の未熟さでした。やや自慢ぽくなりますが、私の修論の成果が認められ、専攻長賞を受賞しました。それでも、研究過程で考慮できなかったこと、技術が至らず盛り込めなかったことは沢山あります。執筆過程で気付いたことを諦め、執筆後に気付いたことに悔しさを覚えつつ、多くのできなかったことを抱えて修了の日を迎えました。

でも、これは良いことなのです。多分。

できなかったことがあるので精進できます。分からない答えはまだまだ溢れています。見えていない問いはもっと沢山あると思います。

一生やっても分からないかも?と思えばワクワクします。未熟で良かったのです。

難しかったこと:経験と自信がじゃまをする。

これは、周囲を見渡しても感じることですが、簡単に言うと、経験がじゃまになります。自信もじゃまです。

私が通っていたのは社会人大学院なので、当然みんな仕事をしています。私はダメダメな状態で入学しましたが、社会人として大学院に入学する人の多くは、現状のポジションで一定程度の成果を残している人だと思います。成果を残しているから、次のステージとして大学院を選ぶのでは?と思います。もちろん、そういう人ばかりではないと思いますが。なので、「現場」での経験があり、自信が培われています。これがじゃまです。

経験に裏打ちされた自信は、その人の中に当たり前を作り上げます。その当たり前は、疑問や問いを阻害します。経験による裏付けは、研究における根拠としては弱いです。「だって現場ではこうだから」ではいけません。そもそも、本当に当たり前なら研究テーマにはなりにくい可能性もあります。

これらのことは、「分かった気になっている」ことによって起こります。正確に言えば、「分かった気になっていることに気付かないでいる」ことがまずいです。

この難しさを克服するために私は、先行研究を沢山読みました。本来先行研究は、研究における問いや仮説を生み出すために読むものだと思います。ただ私にとっては、知らなかった答え、知らなかった問いに出会うために行い、それにより自己を正すために読むものでもありました。経験してしまっている自分、分かった気になっている自分を正しく知覚するために、知らなかったことへの出会いの総量を増やす、そのために読みました。

巨人の肩の上に云々という話がありますが、自分が小人であることを知るのが先な気がしています。

今後は?

ドクターに進みたいです。そこで、私はさらに未熟者になります。後、ドクターはかっこいいから進みたいです。